戸ノ口堰土地改良区の歴史は古く、元和9年(1623年)に猪苗代湖より自然流下している日橋川より取水し開削を続け、母なる水として戸ノ口堰が生まれました。天保3年(1832年)には、時の藩主・松平容敬公が普請奉公を佐藤豊助に任命して、会津藩から延人数5万5000人を集めて3年におよぶ大改修が行われました。堰幅と深さを広げて通水を安定させ、また飯盛山の山裾の水路も土砂崩れが酷いため、飯盛山に約150mの洞穴を人力で掘り進めて1835年に通水させました。
その後1868年に、戊辰戦争で白虎隊士がこの洞穴を通って飯盛山に辿り着き、黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て絶望し自害した悲しい歴史もあります。毎年9月の第4土曜または日曜に、団体の方々にこの洞門(現在はコンクリートの水路トンネル)を実際にくぐって頂くことも可能です。(用水を一時的に減水しますが長靴が必要です。)
今年で戸ノ口堰が生まれて400年になりますが、この母なる水は灌漑用水、環境用水、飲用水、小水力発電用水と幅広く利用されており、今後一時も欠く事なく永年に流し続けるべく水路の維持管理等業務に尽力していきたいと思います。
※ 飯盛山の洞門は、昭和59年度に全面改修工事が行われてコンクリートのトンネルになっています。 ※ 洞門くぐりは減水・ゲート制御調整等が必要なため、数日に限定して行っています。7月までに事前予約をお願いします。(団体数や人数が多い場合はお断りすることもあるのでご了承願います。) ※ 洞門くぐりの際の事故に対する補償はしていないため、保険加入等は団体様にお願いしております。 |