中華ラーメん 親不孝店
中華ラーメん 親不孝店
080-9013-2067
- じぶんのお気に入り:
-
- みんなのお気に入り:
-
人気の名店、隠れた名店の主人が、自ら至極の一杯を喰う!
そしてなぜかふくラボ!も喰う!!
東京発、あっさり醤油スープが生み出す懐かしの味わい。不思議な屋号の下で挑み続ける、波乱に満ちたラーメン道。
更新日:2023年05月08日(月)
【麺】喜多方市の製麺所から取り寄せている、太縮れ麺。一般的には、テボと呼ばれる小さなザルで麺を茹でる店がほとんどだが、親不孝では大鍋で茹でるのが特徴だ。面積の大きな鍋で麺を充分泳がせることで、麺に熱がより均等に加わるのだという。これにより確かなコシと、もちもちした食感を併せ持った麺に仕上がる。
【スープ】あっさりかつ、醤油の深い味わいが堪能できる醤油スープ。出汁は魚介系と動物系を組み合わせている。魚介系はニボシ、動物系は鶏ガラや豚ガラなどから取り、醤油ダレと組み合わせて完成。醤油ダレも会津美里町産を始め、複数の醤油をブレンドした自家製だ。
【チャーシュー】ほどよく脂が乗った豚バラ肉。自家製ダレで味付けを施し、適度な歯ごたえが残るよう1時間程度煮込む。
【その他の具材】なると、メンマ、ネギ、ホウレンソウ、玉子
店主、自ら味わう。
恐らく皆さんが一番気になるのは、屋号の由来でしょう。私は楢葉町出身なのですが、18歳の時に両親の反対を押し切って上京し、1966年に新宿大久保でラーメン屋を構えたんです。そんな自分の身勝手さから、当時の店に親不孝という屋号を付けたんですよ。店は繁盛し、いくつか支店も出しながら20年近く商売を続けました。その後三宅島に移り住みまして。そこでも10年ほどラーメン屋を営業していたんですが、2000年に島が大噴火。全島民避難を余儀なくされ、私は故郷の楢葉町へ戻ることに。それからしばらく地元でラーメン屋を切り盛りしましたが、今度は2011年に東日本震災が発生。またもや避難を強いられることになり、姉妹町であるこの会津美里町に落ち着いたんです。波乱万丈な人生でしたが、こういう話は珍しいみたいでテレビや雑誌の取材も沢山来るんですよ。全国放送で取り上げられた時は、新宿大久保や三宅島時代の同僚、お客さんから励ましの電話も沢山掛かって来ました。嬉しいですよね。ここまで来られたのも、うちの店を好いてくれるお客さんが全国各地にいるおかげ。そんなお客さんのために、残りの人生も旨い一杯を作り続けていきますよ!
ふくラボ!も味わう。
50年前に新宿で開業し、三宅島、楢葉町を経て現在はここ、会津美里町で麺作りに励む店主。文字通り波乱に満ちた人生を歩んできた店主だが、提供するラーメン自体は当時から変わらぬ味と製法を守り続けているという。そんな半世紀を誇る支那そばラーメん。さっそく編集部もいただいてみた。
まずはスープから。琥珀色の澄み切った色が美しい。一口すすってみると、香ばしく深みのある醤油の味わいが口内にじんわりと広がっていく。それでいて非常にあっさりしているため、とても飲みやすい。
次に麺。大鍋で茹でられた縮れ麺はもちもちした食感が特徴的で、スープとも実によく絡む。そして太麺ならではのしっかりした食べ応えも見逃せない。
チャーシューは硬すぎず、柔らかすぎず、絶妙な歯ごたえだ。さらに、噛むたび肉から染み出るまろやかな脂には思わず舌鼓を打ってしまう。
一見すると非常にシンプルなラーメンに思えるが、麺やスープはもちろん、チャーシューなどの具材一つひとつに至るまできめ細やかな工夫が施された、実に繊細な一杯だったように思える。職人の技と情熱が詰まった支那そばラーメん。ぜひ皆さんも一度味わってみて欲しい。
(取材:イデオン大原)
おすすめのクチコミ (1 件)
- クチコミからみる、このお店の特長
- このお店・スポットの推薦者
-
YUNO さん (女性/会津若松市/50代/Lv.38) (投稿:2020/01/08 掲載:2020/01/28)
-
YUNO さん (女性/会津若松市/50代/Lv.38)
近くを通れば思わず二度見してしまう・・・ど派手な外観と衝撃的な店名のラーメン屋。恐る恐る入り「ラーメん」を注文。普通に美味しくて安心しました。店名の由来に興味がわきました。また近くに行った際は食べに行こうと思います。 (投稿:2020/01/08 掲載:2020/01/28)
このクチコミに現在:0人
※クチコミ情報はユーザーの主観的なコメントになります。
これらは投稿時の情報のため、変更になっている場合がございますのでご了承ください。